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開拓の北の大地の観音霊場

  • [霊場ご尊体]如意輪観世音菩薩
  • [ご本尊]大日如来
  • [所在地] 〒076-0031 富良野市本町11-10
  • [電話番号]0167-22-2262
ご縁起

 富良野寺の開基は前住職宮田戒応師の祖父宮田俊人で佐賀蓮池藩の下級武士宮田儀満の子である。
 俊人がどんな理由で渡道を決意したかは不明だが、古丹別の説教所に空きのあることを高野山普賢院住職から知らされ、そのすすめもあってのことと想像されている。天塩国古丹別は日本海も稚内近くの海岸線から、数キロ山すそに入った小村だった。俊人が「北海道天塩国古丹別説教所担当依(ママ)嘱候事」なる辞令をたずさえ来道したのは明治三十九年、四十歳の夏である。しかし当時の古丹別が辺境の地でありすぎたことや、この土地の将来性などを考え早々に見切りをつけ、開教の適地を上川地方にもとめた。
 上川地方の中心地旭川は軍都景気に沸き立ち人口が急増し、それが近郊にまでおよび各宗の説教所が布教を開始、教線がみごとに拡張されているのをみた。そこで俊人は情報を得るため現金峰寺の前身、真言宗布教所に秋山亮範を訪ね、富良野地方の開教の可能性を知らされた。
 富良野駅に降り立つや俊人は托鉢をしながら市街を一巡すると、一夜の宿のお接待を受ける。
 一介の托鉢の僧に温かくその日の宿をお接待したのは、倉前惣太だった。倉前惣太はしばらく俊人を自宅において面倒をみ、八月盆になると徳島や淡路出身の真言宗徒の家を教えて棚経に歩かせ、それが縁となって開創の気運が高まるのである。
 俊人はここに布教所開創の決意をかため、秋に北海道をいったん離れ翌四十年五月家族と共に再渡道、ただちに仮り住まいの借家で布教活動を開始した。そのとき高野山から下付された弘法大師像は現在脇士として祭られている。大師像の台座の裏には「元文五庚申」(一七四〇)の記録がある。

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